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聖デシデリオ司教殉教者   St. Desiderius M.             記念日 5月 23日



 デシデリオは6世紀の中頃にゴールのオータンで生まれて、後にウィーンの司教になった。当時は、教会の聖職者たちの規律がゆるんでいたので、それを改めさせるためにデシデリオは力を尽くした。そのうえ、宮廷でも不品行なことが行われていることを知って、ブルンヒルディス女王と廷臣たちを非難したので、女王は非常に怒って、グレゴリオ大教皇にデシデリオが異教徒の著作にあまり興味を持ち過ぎると言って訴えた。しかし実際はラテン語文法を教える時に使っている時に使っているだけであった。

 デシデリオ司教は数年間追放されたが、グレゴリオ大教皇が彼の無実を認めて、ウィーンの司教区に呼び戻した。その頃、ブルゴーニュの王で、ブルンヒルディス女王の孫に当たるティエリー王が不品行であったので、デシデリオは王を非難した。ところが、王はデシデリオ司教がユスタという女性と不倫の関係を結んでいると偽りの訴えをしたので、司教は捕らえられて牢獄に連れて行かれることになり、その途中で3人の男が司教に飛びかかって、残酷なやり方で殺害した。彼は607年にサン・ディディエ・スル・シャラロンヌで殉教した